Category: Japanese Version Testimonies

天国と地獄を見た7人のコロンビアの若者たち – 7 Colombian Youth

イエス・キリストは7人のコロンビア人一同を天国と地獄に連れて行かれました。天国の栄光・地獄の悲惨に関する彼らの証しをお読みください。 地獄編 — (最初の証し) — (ルカによる福音書16章19-25節)ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』 アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。 神の御言葉である聖書は天国と地獄についてはっきりと述べています。今読んだ箇所で主はふたつの場所について語っておられます。 天国と地獄、つまり罪の裁きか救いの道です。中間はありません。カトリック教徒が信じる煉獄はありません。人間が死んだら天国に行く前に煉獄にいるわけがないのです。聖書にはっきりそう記されています。  【1995年4月11日】 神様は私たちの人生の軌道を変更させる啓示を与えて下さいました。私たちが神様と神様の言葉に出会ったばかりの頃でした。私たちは、この啓示を世界中の人々に知らせるようにと神様に選ばれた7人の若者です。それは大きな責務であり、恵みであります。 この経験は午前10時ごろに始まりました。その日のピクニックの準備を整えた後、みんなで祈り始めて10時ごろになると、突然に窓から強く白い光が出現しました、この光が現れたとたん、私たちは異言を語り始めて聖霊のバプテスマを受けました。 私たちはその時の出来事に驚き、また魅了されてしまいました。その栄光に満ちた光は部屋中を照らしていました。  太陽光より数倍も強い光でした。その光の中に白い衣を着た多数の御使いたちがいました。その御使いたちはあまりにも美しく、背が高く、とても神々しいものでした。 御使いたちの間に実に驚くばかりの姿が見えました。それはある男性の姿でした。彼は特別な存在であり、白いマントと衣を着ていました。彼の髪は黄金の糸のようでした。彼の顔は強く輝いていたのでよく見ることができませんでした。そして「王の王、主の主」と彫刻された金の帯を胸に締め、純金のサンダルを履いていました。彼は誰にも比較できないほど美しい人でした。その人物を見たとたん、私たちは皆ひざまずきました。 それから彼の声が聞こえてきました。素晴らしい特別な声でした。ひとつひとつの言葉が両刃の剣のように私たちの心に入り込んで来ました。ヘブル書4章12節に書いてあるとおりでした。彼はシンプルでありながら強力な言葉を語られました。彼ははっきりと私たちにこう言われました:「私の小さな子供たちよ、恐れることはありません。私はナザレのイエスです。私はあなた方にひとつの奥義をみせるために来ました。あなた方はその奥義をあらゆる街に、あらゆる国に、あらゆる都市に、あらゆる教会に伝えて欲しいのです。私が行くようにと言う場所にあなた方は行くのです。そして、行かないようにと言う所には行かないのです。」 神の御言葉であるヨエル書2章28節は言います。:「その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。 あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。」神様がすべての人のために準備された時代は今です。 そして、不思議な事が起こりました。部屋の真ん中に岩が現れました。その岩に上るようにと主は私たちに言われました。岩は床から20センチほどの高さがありました。突然、床に大きな穴が現れました。黒く恐ろしい空洞あるいは洞窟でした。早速、私たちは岩の一番高い所に上ってから空洞に入って行きました。私たちは地球の真ん中へと導かれました。 私たちは暗闇の中で恐怖におびえてしまいました!あまりにも恐かったため、私たちはイエス様に「主よ、その場所には行きたくありません!私たちをここから出してください!」とお願いしました。 主は情け深い美しい声で答えられました。「この経験は必要です。これから見るものを他の人に伝えなければなりません。」 角(つの)の形をしたトンネルには、動く影、悪鬼たち、あちらこちらと動く異様なものを見かけました。私たちはどんどん奥へと入って行きました。突然、私たちに空虚さと大きな恐怖感がやって来ました。 私たちはある洞窟に着きました。そこには、迷路のような恐ろしいドアが数多くならんでいました。私たちはその中に入りたくありませんでした。その場所の強い悪臭と高温に窒息しそうな気がしました。その中に入って行くと恐ろしいもの、とても恐ろしいものが見えました。その場所全体が炎に包まれていました。しかも炎の中には何千もの人々が焼かれていました。その人たちは激しい苦痛で苦しんでいました。あまりにも恐ろしい光景だったため、誰もとても見てはおれませんでした。 その場所は苦痛によって区分されていました。主が見せられた一つの部分は「大釜の谷」と言います。そこには無数の大きな釜が地面にはめ込まれ、各々の釜の中に溶岩が燃えていました。そして各々の釜の中には地獄に落ちた死人がいました。 そこにいる人たちは皆、主を見かけるとこのように叫び始めました、「主よ、私を憐れんでください!主よ、ここから逃れる機会を与えてください!おお主よ、私をここから救い出して下されば、この場所が本当に存在すると必ず世界中に伝えます!」 しかし、主は彼らの顔を見ようともされませんでした。その場所には無数の男性、女性、若者がいました。すごく苦しんでいる同性愛者とか大酒飲みの人も見かけました。その人たちは激しい苦痛の中で叫んでいました。 彼らの体の破壊のし方を見るのは衝撃的な経験でした。彼らの眼窩や口や耳にはたくさんのうじ虫が動き回り、体中の皮膚から出入りしていました。聖書のイザヤ書66章24節に書いてある通りでした。「彼らは出て行って、わたしにそむいた者たちのしかばねを見る。そのうじは死なず、その火も消えず、それはすべての人に、忌みきらわれる。」マルコ9章48節より「地獄では、うじがつきず、火も消えることがない。」 私たちは目の前でそれを見て恐ろしくなりました。炎は3~4メートルぐらいの高さまでありでした。各々の炎の中に地獄に落ちた人間が燃えていました。 主はある釜の中にいる男性を私たちに見せられました。彼の顔の肉はばらばらと落ちていました。彼は一心に主を見つめていました。そして、いきなりイエスの名を大声で叫び始めた。「主よ、私を憐れんでください! 主よ、もう一度だけチャンスをください!私をここから出してください!」と彼は懇願しましたが、主イエスは彼の顔を見ることもされませんでした。イエス様は彼に背を向けられただけでした。すると、その男性は主をののしり始めました。その人の名はジョン・レノン、「ザ・ビートルズ」という悪魔崇拝ミュージックバンドの一員でした。ジョン・レノンは生涯、主イエスを軽蔑し嘲笑していました。キリスト教は消滅し、イエス・キリストは忘れ去られると彼は宣言していました。しかし、今、彼は地獄におり、イエス様は生きておられるます! しかもキリスト教は消滅してはいません。 その場所をあっちこっち歩き始めると、人々は手を伸ばして憐れみを乞い求めました。地獄から助け出されるようにイエスに頼もうとしても、主は彼らを見ようともされませんでした。 私たちは地獄のいろいろの区画を見るために出発しました。そして、地獄で一番恐ろしい所であって、最高の拷問が集中した地獄の中心に着きました。人にはとても表現できないような拷問がそこにありました。そこにいるのはイエス様と神の言葉を知っている人たちだけでした。牧師、伝道師、宣教師など、そして、嘗てイエス様を受け入れた、真理を知っているいろんなタイプの人たちがいました。しかし、彼らは二重生活を送っていました。 そこには、信仰の後退した人たちもいました。彼らの苦しみは他の誰よりも千倍も酷いものでした。彼らは主に向かって大声で憐れみを乞い求めていました。しかし、ヘブル書10章26-27節の御言葉はこう言っています。「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」 彼らは教会では説教をし、断食をし、手を上げて賛美を歌っていたのですが、町の通りや家では姦淫、不品行、偽り、盗みなどの罪を犯していました。神様を偽ることはできません。多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されるのです。(ルカ12章48節) 地上ではクリスチャンだった二人の女性を見るのを主は許されました。二人はクリスチャンでしたが主の御前で義しい生活を送りませんでした。一方が相手に言いました。「この恥知らずでろくでなしめ!あんたのせいであたしゃここにいるんだ!どうしてあたしに聖なる福音を教えてくれなかったんだ!どうして真理を教えてくれなかったのさ!あんたのせいで、今あたしゃ地獄にいるんだよ!」と彼女たちは炎のただ中で言い争いをしました。彼らは互いに憎み合っていました。地獄には博愛、憐れみ、赦しは存在しないのです。 神の言葉を知っていながら、主の聖なる臨在の前で清い生き方をしなかった何千もの魂たちが地獄にいました。「神と地獄の火をもてあそんではいけません。」と主は言われました。また、言われました。「私の息子たちよ、地上の最悪の苦しみでも地獄の最も軽い苦しみとは比べ物になりません。」 地獄の最も軽い苦悩でも恐るべきものですが、地獄の中心部にいる人々の苦悩はどんなに酷いものでしょう。彼らは主の御言葉を知っていながら、それから道を外した人たちです。また、地上の火をもてあそぶことはできても、地獄の火をもてあそぶことはできないと主は言われました。 私たちはいろんな所を歩きながら、主から色々の人を見せられました。私たちはおよそ6種類の拷問を見ました。また、悪鬼たちからいろんな種類の刑罰によって苦しめられるたくさんの人々も見ました。もう一つの恐るべき刑罰は「神の福音が宣べ伝えられていたことを思い出せ。神の言葉を聞いた時のことを思い出せ。地獄について聞いたとき、あざ笑ったことを思い出せ。」と言って自分を責める良心です。彼らの良心が、体を這いずり回るうじ虫のように、また、私たちが知っている火よりも何千、何万倍もの熱い焼き尽くす火と同じように彼らを苦しめました。それが悪魔(サタン)を追い求め、従う人々に対する悪魔からの報酬なのです。 主の言葉は言います。黙示録21章8節より:「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」 その後、主は6人を殺害した男性を示されました。6人の被害者が彼を取り囲んで男に向かって言いました。「お前のせいで俺たちはここにいるんだ。お前のためにだ!」 人殺しはそれが聞きたくないので耳を塞ぎますが、地獄では人間の感覚が鋭くなるために被害者たちの声から逃れることはできませんでした。 そこにいる人々は、聖書にあるラザロと金持ちの話し(ルカ16章19節)のように、耐えられないほどの水への渇きで苦しんでいました。地獄にいる金持ちは水が一滴でもあれば、苦しみを和らげることができたのです。イザヤ書34章9節ではこう言っています。:「エドムの川はピッチに、その土は硫黄に変わり、その地は燃えるピッチになる。」 地獄ではみんなが火の中にいます。人々は火の中で水晶のように光る川の幻影を見ました。彼らが川に行こうとすると、川が火に変わりました。また、水分たっぷりの果樹が見えました。しかし、手を伸ばすとそれが手を焼きました。そこで、悪鬼たちが彼らをあざ笑いました。 それから、神様は私たちをこれまで見たものよりは更に恐ろしい場所へ連れて行かれました。私たちは硫黄の燃える火の池を見ました。火の池の近くにはより小さな火の池がありました。小さな池には、泣き叫んで主の憐れみを懇願する何百万、何千万人という人々がいました。彼らは言いました。「主よ、お願いです! ちょっとだけでいいですから、ここから出してください! お願いです、ここから出るチャンスを与えてください!!!」しかし、主は彼らに何もして上げることはできませんでした。彼らの裁きは既に決定していたからです。 何百万、何千万人という人々の中から、主イエスは火の池に溺れそうになっている男性を示されました。主は私たちに彼の考えを聞かせて下さいました。彼の名はマルコ。マルコが頭の中で自分に言っていたことに私たちは驚きました。男の考えを聞くことによって私たちは重大な教訓を受けました。「お前の場所にいるためなら俺はなんでもする! 1分だけ地上に戻れるなら俺は何でもする。世界一不幸な者になっても、世界一病弱な者になっても、世界一嫌われ者、世界一の貧乏人になってもかまわない!地上に戻るためなら何でもする!地上に1分だけ。」主イエスは私の手を握っておられました。イエス様はマルコの考えに答えて言われました。「マルコ、何のために1分だけでも地上に戻りたいのかね?」苦痛に満ちた泣き声でマルコはイエス様に言いました。「主よ!自分の罪を悔い改めて、救われるために、ただの1分だけでも地上に戻れるなら、私は何でやります。」 マルコがそう言うと、主イエスの傷口から血が出るのが見えました。イエス様は涙を浮かべて言われました。「マルコ、もう手遅れだ!あなたの下にはうじが敷かれ、虫けらがあなたのおおいとなる」(イザヤ書14章11節)と答えられると、マルコは永久に火の池に沈みました。残念ながら、地獄にいる魂には希望がありません。地上にいる人たちにだけ、今日、悔い改めることによって天国で主イエスと共にあるチャンスがあるのです。 これからは、ルーペ姉妹が続けます。ありがとうございました。    — (2番目の証し:ルーペ) — 愛する皆さん、神の祝福がありますように。詩篇18篇9節の御言葉を読みましょう。「主は、天を押し曲げて降りて来られた。暗やみをその足の下にして。」 主が私の方に手を伸ばされたので、私は彼の手を握りました。すると、私たちは洞窟のトンネルを下り始めました。トンネルはだんだん暗くなり、イエス様の手を握っていない方の手が見えないほどに暗くなりました。 突然、 私たちは騒音のする暗くて光を発するものを通過しました。あまりにも暗いのでトンネルの壁に手で触ることができないほどでした。私たちの下降するスピードがあまりにも速いので、私の魂が体から離れるのではないかと思いました。 すぐに強い悪臭に気づきました。腐った肉のような臭いがだんだん強くなってきました。その時、何百万、何千万という人々の声が聞こえてきました。彼らは絶えず叫び、泣き、呻(うめ)いていました。私はとても恐くなって、主に言いました。「主よ、私をどこに連れて行かれるのですか? 主よ、私を憐れんでください!どうか私を憐れんでください!」 主はただこう言われました。「あなたはこれを見なければなりません。全ての人にこれを伝えるためです。」 私たちは角の形をしたトンネルを下り続けて、遂に真っ暗な所に着きました。その時、まるで私の目から重いカーテンが開いたように、無数の炎が見えてきました。さらに、無数の人々の苦しみの叫び声が聞こえて来ましたが、姿を見ることができませんでした。私は実際にすごく怯えていました。私は主に言いました。「おお、主よ、私を憐れんでください!憐れんでください!私をその場所へ連れて行かないでください!どうかお赦しください!」 私は自分が地獄の目撃者だとは思わず、審判の日だと思い込んでいました。本当に私の人生の終わりの日だと思って主イエスの御前で激しく震えていました。 私たちは前方の大きな炎の方に向かって行きました。それは巨大な燃え上がる炎でした。私はゆっくりと下り続けました。無数の炎が見え、何百万もの魂たちの泣き声がいっせいに聞こえて来ました。 その後、火で焼き尽くされない木製のテーブルが見えました。テーブルの上には何本かのビール瓶のようなものがありました。清涼そうに見えましたが、ボトルの中には火が満ちていました。私がそれを見ていると、突然、一人の男性が現れました。彼の肉は既にほぼ完全にくずれ落ち、残った衣の断片は泥だらけになって燃えていました。彼は火によって眼球や口や髪の毛はなくなっていました。眼球はなくても彼は私を見ることができました。よろしいでしょうか。考え、論じ、見ているのは、実は肉体ではなく人の魂なのです。 […]

天国と地獄

朴永固(パク・ヨンギュ)牧師 1987 年、朴永固(パク・ヨンギュ)牧師は高血圧で死にました。しかし、神様の恵みによって、彼の命は 20 年延ばされました。最初の 4 年間は、彼の容態が悪かったため、話すことができませんでした。彼が生き返った のは 50 歳の頃です。彼は死の中で、神様に天国と地獄を見せられました。 あなた方に知っていただきたいのは、もしあなた方が傲慢で自尊心に満ちてい るとしたら、あなた方の上に呪いをもたらすことになるのです。私は、5千人の 信徒を持つメガチャーチの牧師でした。しかし、私自身の傲慢によって、神に撃 たれたのです。今、私は神を畏れます。(ヤコブ4:1)私はかつて 1 億 5 千万 ドルの財産と 5 台の高級車を所有していました。しかし、死を体験した後、全て 他人に与えました。覚えておいてください。救いは、所有する財産ではなく、信 仰によるものです。今、私は執事、長老、教会のリーダーの方々にお願いします。あなた方の牧師に心から仕え てください。 1987 年 10 月 19 日、昼ご飯を食べて、休んでいたときのことです。突然、激しい痛みを感じました。あまり の激痛に耐えられず、死んでしまいそうでした。そして、私は意識を失いました。4 ヵ月後、意識が戻った時、 私は植物人間になっていました。医者は、このままでは死ぬだろうと言いました。私の身体は、全身麻痺し、見 るも無惨な状態でした。家族も信徒達も怖がって、誰一人見舞いに来ようとしませんでした。ついに、私は死に ました。 私が死ぬ時、部屋に二人の人が入ってきました。彼らは壁を通り抜けて入ってきたのです。私は叫びました。 「誰だ、おまえたちは!私の家を壊す気か!?」そのうちの一人が言いました。「私たちは天国から来た天使で す。神の国から遣わされてきたのです。」天使たちは、光り輝いていました。 私の右側にいた天使が言いました。「私はイエス様の御国に仕えている 者です。あなたを天国に連れてくるよう命令を受けたのです。今、あなた が死ぬと、あなたの家族は大変悲しむでしょう。主はあなたの寿命を延ば したいと願っておられます。あなたに天国と地獄を見せたいのです。地獄 へ入る者を減らし、天国へ入る者を増やすこと、これがあなたの使命です。 もしただちに従わないなら、あなたは天国と地獄に行くことができませ ん。」 また、左側にいた天使も言いました。「あなたが生まれてから死ぬまで、私はいつもあなたと共にいました。」 私にはその意味が分かりませんでした。今なら分かります。彼は私の守護天使だったのです。私は断りました。 「だめです!私は行きたくありません!私は牧師です。こんなひどい体で主にお会いするなんて!健康になった ら行きます。主に責められるでしょう。私はあまりにも傲慢でした。この病はそのためです。どうして天国へ入 れましょう?ああ、恐ろしい!どうか天に帰って下さい。私の病を癒して下さるよう主にお願いして下さい。そ したらまた来て、夢の中で天国に連れて行って下さい。どうか主が私を憐れんで下さるようにお願いして下さ い!」しかし、天使は聞き入れませんでした。彼らは私の服を脱がせました。汚れた服では天国へ入れないとい うことです。そして、白い衣を着せてくれました。(ゼカリヤ書 3:4)   […]

地獄で終わってしまったクリスチャン

1982 年、死に至る事故を経験しました。死が私に迫って来ると全てが暗闇になった ように感じました。私は暗いトンネルを歩いているのに気づき、何か生きているも のが私を連れて行っていることに気づきました。冷たく暗いトンネルを私達が歩いている間、恐ろしい叫びやうめき聞き 始めました。私の中で強い恐れが大きくなりました。私はすでに死んでいるけどもこの場所でどうにかして私はまだ生き ているんだと言うことを知りました。 そこらじゅう一面に大きな蛇が動き回っているのを見ました。そして全ての人々が水を 求め叫んでいました。間もなく私達は開かれた台地につき、そこに沢山の個室と小さな 仕切りがあり、それぞれの中に異なる人が入っていました。私は神様にあわれみを求め ながら恐れで泣き始めました。『主よ、私の人生を思い出してください!あわれみをく ださい!』真の恐れは私の魂をつかんでいて私の生活の全てが私の目の前に通り過ぎま した。幾つかのドアに近づいた時、私は再び叫びました。『主よ、私にあわれみをください。私を憐れんでください!主 よ、助けて!』 突然、静けさがありそれから大きな声がこう言っているのを聞きました。『ストップ!!』その声は地獄全体を震わせ、 手を取って私を連れて行ったあるものの手が離されました。『私は姦通の神ではない。私は私通の神ではない。私は嘘つ きの神ではない。傲慢な人々の神でないとしたらなぜ私を主呼ぶのか。』ルカ 6:46 私は自分が壊されるように感じましたがその瞬間が過ぎると神様の声は柔らかくなりました。『来なさい、私の道に従う 意思の無い人達の為に、また彼らの心の想像によって歩いている人達の為待っているこの場所で何が起こっているのか明 らかにしましょう。 それから女の人がロッキングチェアー(揺り椅子)に座っている場所にに行きました。その場所全てから恐ろしいうめき 声がまだありました。まず始めに彼女は大丈夫かのように見えましたが彼女の体が魔女に変わり燃えている炎の中で、激 しい苦痛の中で彼女は叫びました。彼女はあわれみを求めましたが主は私に言いました。『罪の報酬は死でこの場所に来 た人々はこの場所から再び出られることはありません。』ローマ 6:23 主はキリスト教会にかつていた沢山の不従順な人たちを見せてくれました。彼らは泣き叫び あわれみを求めていましたがあわれみありませんでした。あわれみはまだ地球で生きている 間に見出すことが出来るのです。人が一度死ぬとあわれみはもはや届くことができません。 このように言っているようにです。そして人間には一度死ぬと死後に裁きを受けることが定 まっている。(ヘブル 9:27) イエス様はまた沸騰している油のようなものがある場所を見せてくださいました。人々は燃 える炎から出ようと内側で苦しんでいました。しかし悪魔が彼らを元に戻すために投げ入れ るのです。 私達は神様のみ言葉を一度聞いたが決して悔い改めない人 がいる場所まで歩きました。牧師や宣教師、信徒でさえも 見ました。彼らは全員異なる理由でいるのです。異言や癒 し、聖霊のバプテスマ、聖霊の力を決して信じなかった 1 人の牧師を見ました。(マルコ 3:29) 彼はあわれみを求めて 異言は本当であることと、聖霊は真実であること、福音の 中に本当の自由があることを世に伝えるために、もう一度 チャンスをくださいと求めています。しかし彼には遅すぎ ました。悔い改めのチャンスは地球上でのみ可能なので す。 私は地獄にいる宣教師もまた見ました。彼がそこにいるの はアフリカに福音を広げるためにお金を求めていましたが半分を彼自身のためにとってしまいました。今、彼はあわれみ と彼のものではないお金を戻すもう一度のチャンスを求めているのです。彼がイエス様助けることができないことを知る と彼はイエス様を呪いました。 教会内でかつて神様を賛美していた人を見ました。彼らはただ悔い改めていなかった罪に対してあわれみを求めて泣き叫 んでいました。彼らの死後、悔い改めのチャンスを失ったのです。教会から十分の一献金を盗んでいた牧師を見ました。 彼らもまた悪い行いを取り消すためにあわれみを乞うていましたがもうチャンスはないのです。 イエス様なしに死ぬと地獄に行き、イエス様とともに死ぬと天国に行きます。沢山の人たちは死ぬことは存在しなくなる […]